Japanese Music Reviews

歴史の中で消費され、捨てられていく日本の音楽を紹介し、文化として再構築することの一助になれば

【氷室京介】07 I・DE・A(1997)

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07 I・DE・A(1997)

今回は、氷室京介7枚目のオリジナルアルバム、I・DE・A(イデア)をご紹介したいと思います。
本作の最大の特徴は、アメリカのギタリスト・スティーブ・スティーブンス(以下SS )との共作であることです。このアルバム以降、しばらくSS とのタッグが続きますが、本作は収録曲のほとんどをSS がプロデュースしており、作曲さえも2曲行っています。以後のアルバムではこれほど作品全体をプロデュースすることはないので、氷室京介の作品の中で最もSS の影響が強いアルバムと言えると思います。

ここで、そもそもSS とは誰か、という話なのですが、SS の仕事で一番知られているのは、80年代のアメリカのロックスターの一人、ビリー・アイドルのサポートギタリスト(共作もあり)のようです。またマイケル・ジャクソンの作品(「Dirty Diana」)にも参加するなど、スタジオアーティストとしても活躍しており、ほかにトム・クルーズ主演で一世を風靡した映画「トップガン」のテーマ「TOP GUN ANTHEM」(インスト。ケニー・ロギンスの歌入りの方ではないです。)でギターを弾いた人、という印象も強いようです。

と、主に80年代の印象が強い人ですが、氷室京介も以前からファンだったのでしょうか。上述したように、本作ではほぼ全曲のプロデュースを任せており、2曲目「SWEET MOTION」に至ってはSS 作曲で氷室京介本人は作詞(松本隆)・作曲・プロデュース全てに関わっていません。どれだけSS を信頼していたかがわかる気もしますが、それが果たしてうまくいったのかどうか。

結論から言いましょう。SS にほぼ丸投げしているこのアルバム、氷室京介のアルバムとしては失敗していると思います。氷室京介の全作品中、ある意味、本作は一番古臭いですね。それは一も二にもSS のギターサウンドやリフによるものです。当時はもう90年代の後半だったにも関わらず、あからさまに80年代ハードロック/ヘヴィメタルHR/HM)的なサウンドとフレージングを繰り出してくるのは、ちょっとつらいものがあります。80年代にリアルタイムでHR/HMに親しんだ人なら愛着が湧くのかもしれませんが。

それまでの氷室京介の音楽は、ハードロックの影響もありましたが、根っこには80年代ニューウェイブがあったと思っていて、だからそこはかとなく、氷室のアティチュードにもパンク的なものがあった(それが一番顕著に出ているのがファーストシングルの「ANGEL」)。それが彼の魅力の一つだったと思うのです。それがいきなり真逆のマッチョなハードロック路線になると、ちょっとついていけないですね。
また、本作、全体的にSS のギターの音が大きいすぎるんですよね。正直、氷室京介の作品と言うより、SS Featuring氷室京介のような、もはやSS の作品ではないか、と言いたくなる瞬間がいくつもあります。結論として、洋楽的なサウンドは手に入ったかもしれませんが、古臭いアメリカンロックになった、という印象です。

ただ、シングル2曲はSS の影響がそこまでなく、良い曲だと思います。「NATIVE STRANGER」と「HEAT」ですね。「NATIVE STRANGER」はセカンド「NEO FASCIO」以来、久しぶりの佐久間正英プロデュースで、SS はギターでのみ参加しています。もう一方の「HEAT」の方は浮き立つようなリズムとキャッチ―なメロディが素敵な曲ですね。正直、この曲だけはアルバムのほかの曲と違い過ぎていて、曲の存在感が消されている気がします。魅力的な曲だけにもったいないですね。

本作はSS の影響が強すぎて、氷室京介の魅力が見えてこないというのが結論です。「堕天使」のような氷室京介のボーカルが素晴らしい曲もあるじゃないか、という批判もあり得るとは思いますが、この曲、メロディが歌謡曲的なのと、曲の構成が冗長なので、そこまで評価できないですね。間奏のギターは必要か、という気もしますし。

本作の80年代HR/HM路線は、基本、本作限りになります。今回はほぼ批判的なことしか書きませんでしたが、ここには彼の魅力を発揮できる場所はなかったのだと思いますね。

【氷室京介】06 MISSING PIECE(1996)

 

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06 MISSING PIECE(1996)

今回は氷室京介6枚目のオリジナルアルバム、MISSING PIECE(ミッシング・ピース)をご紹介します。

このアルバムから、氷室京介ソロキャリアの中期と区分できる気がしています。その理由は、単に所属レーベルがEMIからポリドールに変わったからではなく、5枚目までのどのアルバムにも感じられたロックに対するこだわりが、このアルバム以降希薄になっていくと感じられるからです。

そして、本作ですが、率直に言って、氷室京介史上、もっとも売ることを意識した作品ではないかと思います。1曲目の「STAY」なんて、狙いすぎだと言いたくなるくらい、売ることを意識した、わかりやすい曲に仕上げられています。「SQUALL」も同様ですね。この2曲はロックというより歌謡ロックと言った方が正確でしょう。歌謡曲だからダメということではなく、僕も長らく氷室京介の代表曲といえば、これらの2曲と「KISS ME」が思い浮かんだものです。ただ、ひとつだけ言わせてもらうと、こういった歌謡曲的な曲は、これまで意図的に氷室京介が避けてきたところだったんじゃないかと思うんですね。歌謡曲的なアプローチで作曲すれば、売れるかもしれない、しかし自分はロックにこだわる。というこだわりが、前作まではあったのではないか。そう感じるから、本作は決して悪いアルバムではないとは思いつつも、積極的に評価しようとは思えないところです。

また、本作からしばらくの間、バラードが増えていきます。「魂を抱いてくれ」や「WALTZ」、「IF YOU STILL SHAME ME」などですね。本作で氷室京介はバラッディアーとしても相当優秀であることを証明しています。ここはやはり氷室京介初のバラードシングルである「魂を抱いてくれ」が素晴らしいですね。作詞家として松本隆を起用した最初の作品ですが、歌い出しの「雨粒の中、街翳が回る」というフレーズには何か特別なマジックがあると思います。名曲です。

AOR(Adult Oriented Rock)的な曲が多いのも特徴ですね。「PLEASURE SKIN」や「MIDNIGHT EVE」がそれですが、悪くないですけども、特に氷室京介がやることもないかな、とは思います。普通という感じですね。

全体を見て、バラードや歌謡曲、果てはAORで構成されたこのアルバム、氷室京介の新機軸を示したアルバムとも言えますが、ハッキリ言ってしまえば、落ち着いた大人の、刺激の少ないアルバムにもなってしまっています。最後の曲で思い出したかのようにロックな曲が出てくるのも、逆に中途半端な感じになっていますしね。結局、冒頭に書いたようにロックへのこだわりが感じられないことに尽きるのですが、それを良しとするかどうか。そして、後の作品を見るに、やはり本人も思うところがあったのか、次作以降、本作のような歌謡曲AORのアプローチはなくなっていき、ロックへ回帰していきます。

最後に、タイトル曲のMISSING PIECEについて一言だけ。当時の氷室京介の心境はこの曲に一番強く現れている気がします。何かを探し続けているが、自分が何を求めているのか、それがまだ見えない。しかし歩き続けることを選んだ自分。そんな心境が歌詞と声から聞き取れる気がします。そういう意味で、本作で一番魅力的なのはこの曲だと思っています。何にせよ、いわゆる過渡期の作品ということでしょうか。

【氷室京介】05 SHAKE THE FAKE(1994)

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SHAKE THE FAKE(1994)

今回は氷室京介5枚目のオリジナルアルバム、「FAKE THE SHAKE」 をご紹介したいと思います。
このタイトル、偽物(FAKE)をふるいにかける(SHAKE)、という意味でしょうか?当時の氷室京介の気持ちが何となく垣間見える気がします。
前回、前作「Memories of Blue」は当時の流行にのった、氷室らしくない作品だと言いましたが、その反動が現れたのが本作だと思います。反動とは、「前作は一般受けを狙いすぎたのではないか」という反省から、ロックに回帰して、もっとハードな作品を作ろうと思ったのではと想像します。そう考えると、このタイトルも何となく意味が分かるような。

さて、ハードな作品と言いましたが、やはり前作よりロックしている曲が多いですね。「SHAKE THE FAKE」を筆頭に、イントロが叫び声のようで強烈な「HYSTERIA」、楽しい「DOWN TOWN ARMY」、ソウルフルな「LONESOME DUMMY」、SION矢沢永吉のような嗄れ声が印象的な「BLOW」など、どれも魅力的です。

本作までの作品では、サードアルバムの「Higher Self」がロックンロールの詰まったアルバムだと紹介しましたが、その意味では本作も負けてはいません。サードとの大きな違いは、曲の構成がより複雑になっていること、またギターのサウンドがサードに比べてカミソリのような切れ味の音色になっているところでしょうか。「SHAKE THE FAKE」がまさにそうですね。リズムも多彩であり、聴いていて飽きさせません。全体のサウンドもあまり古さを感じさせませんし。

ただ、全体を通じて、なにか切迫感のような、焦りのようなものを感じる作品でもあります。前作がどっしり構えたような雰囲気があったのに、本作は氷室京介のロックを証明しようと焦るかのようです。そういう意味で、収録曲のクオリティは高いのですが、名盤にある自信のようなものが感じられないのが惜しいところではあります。

また、全体的に捨て曲は少ないのですが、逆にこれという一曲がないという弱みもあります。またHigher Selfと比較しますが、あの作品は最後に「Jealousyを眠らせて」があるのでいいバランスだったのですが、本作はシングルが「VIRGIN BEAT」だけですし、この曲も曲構成が複雑でそこまでキャッチーでもない。そういうところから、氷室京介を始めて聴く人にはちょっと敷居が高いかもしれません。

この作品以降、バラードや歌謡曲的なメロディの曲が増えていくので、僕はこの作品までを氷室京介の前期と捉えています。そういう意味で前期はロックにこだわった本作で締めくくられたのでした。

【氷室京介】04 Memories of Blue(1993)

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氷室京介、4枚目のオリジナルアルバム、Memories of Blue です。
直訳すれば青の記憶たち、でしょうか。青とは青春と言い換えられますが、そういう青臭い感じは確かにあるかもしれません。このアルバムは氷室京介最大のヒット曲、KISS MEが収録されていて、このアルバムも氷室京介の中で最も売れたアルバムになります。

では、中身のご紹介にいきましょう。

まずは、1曲目のKISS MEですね。このアルバムには3曲のシングルが収録されていて、その内の一曲になります。氷室京介の代表曲と言ってもいいでしょう。ただ、この曲、BOOWYのMarionetteとコード進行が似てるんですよね。それが悪いとかいうことではないですが、やはりどうしてもBOOWYの二番煎じに聞こえてしまう。当時はむしろそれが受けたのかもしれませんが、今の耳で聞くと、じゃあBOOWY聴こう、となってしまいそうですね。よくできた歌謡ロックだと思うのですが。

ただ、アルバム全体としては、KISS MEは若干浮いています。前作Higher selfが「Jealousyを眠らせて」を最後に配置して、いわばボーナストラックのような扱いにしていたのと理屈は同じで、本作はまずボーナストラックが来て、2曲目から本当のアルバムがスタートするような印象ですね。

その2曲目「YOU’RE THE RIGHT」ですが、アメリカンロックのような、スケールの大きい曲です。決して悪い曲ではないのですが、当時ヒットしていたJ-WALKの「何も言えなくて…夏」に似てるなと思ってしまいます。また、同じようなところで、シングル曲「Good Luck My Love」は、イントロがどうしてもCHAGEASKAの「YAH YAH YAH」に聞こえてしまいますね。

と、はっきり言ってこのアルバム、当時の流行りに乗った音作りがなされた作品ですね。そのため、過去3作にあったような個性は薄い作品だと言わざるをえません。メロディが印象的な曲はあるのですが、サウンドに個性がないと、一定以上楽曲に没頭できない。それは一つの音楽として、説得力がないからでしょう。その流行りの音と氷室京介の相性が悪いわけではないのですが、どうも借り物のように聞こえてしまうんですね。いやな言い方をすれば、まるでカラオケで歌っているかのような。

ただ、氷室京介のボーカル自体はよいです。これまではどこか肩に力の入った、攻撃的な歌い方が多かったのですが、本作ではそこがガラリと変わっていて、どの曲も非常にリラックスしていて、のびやかに歌う氷室京介が聞けます。サウンドや楽曲云々よりも、その点が本作の一番の魅力かもしれませんね。声だけで楽曲に一定の説得力を持たせられるところは流石です。

総じて、90年代初頭に流行っていた音であり、個性は薄い作品ではあります。ですが、80年代ほどの古臭さはなく、ある意味今の若い人には新鮮な音かもしれない。グッドメロディの曲はあるし、「SON OF A BITCH」のようなロックンロールも入っていて、一定のバランスがとれている、非常に聞きやすいアルバムですね。一聴の価値は大いにあると思いますよ。

 

【氷室京介】03 Higher Self(1991)

Higher Self(1991)

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氷室京介、3枚目のオリジナルアルバム、Higher Self をご紹介しましょう。「FLOWERS for ALGERNON」、「NEO FASCIO」と続いて3枚目となりますが、まず一聴して感じるのは、サウンドプロダクションの変化でしょうか。1枚目はいかにも80年代的なサウンド、2枚目はバンド演奏ではあるものの非常に硬質でデジタルチックな手触りの音でしたが、本作は、若干こもり気味ではあるものの、楽器の生音に近い手触りの音になっており、90年代的な古さは多少ありつつも、今の耳でもそこまで抵抗なく聞けるのではないでしょうか。

さて、中身の紹介に行きましょう。今回、氷室京介の全アルバムをレビューするためにまず全作品を通して聞いたのですが、その中で、最初に聞いて一番衝撃を受けたのが、このアルバムの1曲目である「CRIME OF LOVE」ですね。サウンド的には、バンドサウンドではありつつも、デペッシュ・モードのような雰囲気を持っており、そこに歌謡曲的なメロディを載せているのが、80年代的(本作は1991年作ではありますが)な哀愁もあって、実に魅力的な曲です。アルバムのリードシングルでもあったのですが、こういった曲をもっと量産してくれたらよかったのに、と思ってしまうくらい素晴らしい1曲ですね。

しかし、CRIME OF LOVEだけじゃなく、ほかの曲も粒ぞろいですね。名曲ぞろいというわけではないのですが、どれもロックしている良曲が詰まっています。シングルの「WILD AT NIGHT」をはじめアップテンポでシンプルなロックナンバーが多いのですが、ロカビリー調の曲もあったりピアノバラードもあったりで、曲のバラエティも豊富です。だけれども全体の統一感は不思議と取れており、アルバム1枚としてもすごく聞きやすいですね。

また、アルバムの構成について言えば、実質的に最後の曲「MOON」が気品のあるバラードで、ほかの「CLIMAX」や「CABARET IN THE HEAVEN」の持つ下世話な感じを、最後にきれいにまとめているのも良いです。氷室京介のバラードは、歌謡曲的なウエットな感じがない曲が多く、ドライな質感が特徴ですが、それが最初にうまくいったのがこの曲ではないかと思います。

そして、「MOON」の次の曲が「Jealousyを眠らせて」。いかにも90年代初頭のシングル曲というアレンジの曲ですが、この曲が「MOON」の後、少し間をあけて始まるところが意外と良い効果を発揮していますね。この曲、他の曲と比べて明らかに浮いているんですが、「MOON」で終わってしまうと、どこかアルバム全体としてキャッチ―さが足りない、何か物足りない感じも同時に残ります。やはり氷室京介というビッグネームのアルバムだから、キャッチ―さというのもどこかで求めてしまうところがあるので、最後にこの曲が来て、全て満足できるみたいな気がします。ただ、だからこそ「Jealousy」で終わってよかったのが、次に「LOVER’S DAY」のインストをもってくる必要はなかったかなとは思いますね。この曲は「Jealousy」のカップリング曲をピアノのインストにしたものですが、「Jealousy」がある意味良い蛇足、みたいな感じで終わらせてくれそうなところを、本当の蛇足がついてきたみたいな余計感があるのは残念なところです。ピアノで終わるようなアルバムではないと思うのですが。

本作は、次のMemories Of Blueの大ヒットと比較して地味な印象を持っている人も多い作品ですが、収録曲のアベレージの高さ、一体感のあるバンドサウンド、シングル曲の存在感、そして、どの曲も氷室京介の声の魅力を存分に発揮しているという点から、もっと高く評価されるべき作品だと思います。前作でも同じようなことを書きましたが、氷室京介にあまり興味がない人にこそ聞いてほしい作品でもあります。聞く人を選ばない、間口の広いアルバムですし、ロック好きなら何か刺さるものがあるのではないでしょうか。

【氷室京介】02 NEO FASCIO(1989)

02 NEO FASCIO(1989)

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今回は氷室京介の2ndアルバム、NEO FASCIOをご紹介します。
NEO FASCIO たぶんネオ・ファッショと読むんだと思いますが、イタリア語で「新しいファシズム」という意味じゃないかと思います。このアルバムは発売当時、氷室京介初のコンセプトアルバムとして紹介されたようですが、そのコンセプトが「ファシズム」ということのようです。このアルバムは1989年にリリースされていますが、何故このタイミングで氷室京介ファシズムをテーマにしたのでしょうか。前作が「アルジャーノンに花束を」に影響を受けているので、今回は村上龍の「愛と幻想のファシズム」に影響を受けたのかな、とか想像してしまいました。

そして本題ですが、この作品、氷室京介の中で最大の異色作ですね。異色作というところは、アルバムジャケットからも感じられると思います。氷室本人が写ってないジャケットはこの作品だけですし、何か禍々しい、異様な雰囲気が漂っています。

ですが、氷室京介という色眼鏡を外して聞いてみれば、本作は、どの曲も個性的なサウンドとメロディを持つ力作だと言えます。シングル曲を除き、どの曲もどこか歪んでいるような、一筋縄では行かない曲ばかりなのですが、それが不思議とクセになりますね。また、アジテーションしているかのような氷室京介の歌い方は、まるで舞台俳優のようでもあり、アルバム全体の雰囲気をうまく演出しています。

コンセプトとされているファシズムについては、歌詞が抽象的なものなので、少し理解が難しいのですが、おおざっぱに言えば、アルバム前半部分でファシズム全体主義)に支配された社会の恐ろしさを描き、後半では、その社会から脱出することを宣言しているような雰囲気がありますね。ただ、コンセプトと言っても、シングルの「SUMMER GAME」や「MISTY」は全く場違いなくらい歌詞の世界観が違うので、たいして厳密なものではありませんが。

ただし、これらシングル曲は浮いていますが、よいアクセントにもなっています。アルバム曲ばかりでは濃密すぎて息が詰まりそうなところに、キャッチ―なメロディの曲が配置されており、意外と通して聞きやすいところも評価できます。また、シングルではありませんが、本作のハイライトである「CALLING」は特筆すべき曲ですね。今の耳で聞くとほとんどGLAYのようにも聞こえますが、それだけ彼らがこのアルバムから影響を受けたのではないでしょうか。数ある氷室京介の歌の中でも、トップ5に入るだろう熱唱です。ぜひ聞いていただきたいと思います。

また、本作の特徴として言われることですが、プレイヤーとして氷室京介佐久間正英そうる透の3名だけで制作されている点も忘れてはいけません。特に佐久間正英はほぼすべての楽器(ドラム以外)を演奏しプロデュースも行っているので、一部では本作は佐久間のアルバムという向きもあるようです。実際、本作にかなり貢献しているのは間違いないでしょうが、作曲とボーカルは当然ながら氷室京介であり、氷室のボーカルが全体を統制していることからも、佐久間正英の作品というのは言い過ぎではないかと思いますね。

本作で見せたような尖ったサウンドや異様な雰囲気は氷室京介の中でも随一のものです。次作以降、良くも悪くもキャッチ―で聞きやすいサウンドが目立っていくため、逆に本作の価値は上がっているのではないかと思います。
氷室京介を「KISS ME」などしか知らないロックファンならば、聞いておいて損のないアルバムですね。

【氷室京介】01 FLOWERS for ALGERNON(1986)

FLOWERS for ALGERNON(1986)

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はい、今回から1日1枚ずつ、氷室京介のオリジナルアルバムをご紹介していきます。

第一弾は、氷室京介ソロの記念すべきファーストアルバム、FLOWERS FOR ALGERNONです。ダニエル・キイスの有名な小説「アルジャーノンに花束を」の原題がそのままアルバムタイトルに使われています。これは、当時氷室がアルジャーノンを読んで感動したから、らしいのですが、いくら感動したとしても、その本のタイトルをそのまま自分の作品につけますかね、という気はします。ただ、このときの氷室の心境として、推測ですけど、BOØWYを解散してソロでやっていくと決めたそのときに感じたことすべて、とにかく詰め込んでやろうとしたのが、このアルバムなのでは、と感じましたね。

ANGELにはソロでやっていくぞ、という気合いのようなものがビンビン伝わってきますけど、他の曲は、よくありがちな、前のバンドとは違う曲をやろう、という意地みたいなものはあまり感じられなくて。そのときやりたかったことをぜんぶやりました、といったような、なにも計算していない、素の氷室京介がいる気がするんですね。そこが本作の一番の魅力なのかなと思います。

曲としては、何はともあれ「ANGEL」ですよね。後で触れますが、この曲だけは80年代特有の古めかしさをあまり感じなくて、今でも充分カッコいい曲として通用すると思います。それは、バンドの音色だけが理由じゃなくて、何より氷室のボーカルの迫力・説得力にあります。この曲だけ迫力が全然違うんですよね。

また、声に加えて歌詞のすばらしさもあります。後年、歌詞を変えたバージョン(ANGEL 2003)が発表されていますが、やはりオリジナルにはかなわない。「臆病な俺を見つめなよ ANGEL 今飾りを捨てるから。裸の俺を見つめなよ ANGEL」このフレーズは氷室史上屈指のかっこよさだと思います。

一方で、ソロデビュー作特有の、後のキャリアからみて珍しい曲もいくつかあります。「DEAR ALGERNON」や「独りファシズム」がそうですね。これはバンドサウンドになっているからロックバラードみたいに聞こえますが、本質は、吉田拓郎泉谷しげるが歌っても違和感ないフォークソングではないかと思います。独りファシズムは作詞が泉谷さんなので特にそう思うのかもですが。こういう曲って、このアルバム以降無いんですよね。氷室さんも自分には合わないと思ったのかは分かりませんが、氷室京介の魅力とはちょっと違うかな、とは思います。曲としてはすごくいいんですけどね。

このアルバムの曲には、ライブでも定番の曲が結構あるようです。「ROXY」 、「SEX&CLASH&ROCK'N'ROLL」、「TASTE OF MONEY」などですね。他の曲もそうかもしれません。ですが、このアルバムの中ではそこまで魅力的に聴こえてこないですね。その一番大きい理由は、やはり音色の古さや、シンセの使い方などのアレンジが時代を感じさせるためですね。そこが気になってしまって、今の耳で聴いててあまり没頭できないのが残念なところです。

前述のとおり、このアルバムの最大の魅力は、素の氷室京介を感じられることだと思います。一方で、音色の古さから、今のリスナーに両手をあげてお勧めはしづらいところもありますね。ファンならば必聴というところでしょうか。

しかし、ロックファンならば誰でも、ANGELだけは聴いた方がいいですね。この曲には氷室京介ソロの魅力がギュッと詰め込まれています。この曲が好きになったら、氷室京介の他の作品も楽しめると思いますね。